休職約一年から社会復帰を目指す。

うつからの社会復帰を目標として、考えたことをまとめて、アウトプットしていきたいです。

復職の面談に備えて、リワークについてまとめる。

私は現在休職中で、リワークに通っている。

 

リワークとは、うつや適応障害双極性障害などで休職・退職された方が、復職・転職に向けて、生活リズム改善や、再発防止に向けたグループワークなどを行う施設。

www.smilenavigator.jp

 

以前の日記では、デイケアと書いた。正確には「リワークプログラムの、時間帯はデイケア(朝~夕方)での参加」とという感じなのかな。

 

上記リンクにも記載されている通り、大きく分けて、国の独立行政法人がやっているものと、病院がやっているものがある。

私が行っているのは後者の、病院が実施しているほう。

 

リワークに参加するまで

2月に休職して、通い始めたのが11月頃。

それまでは、現在通っているところを含めて、3つのリワーク施設を見学した。

それぞれ仮にA、B、C医院とする。

 

A医院は、主治医の病院の近辺にあり、通いやすいのではということで最初に主治医から紹介してもらった。

病院が運営しているリワークは、その病院の方針によって大きく内容が違うらしい。

このA医院は、グループで絵を描いたりとか、芸術系なプログラムが多かった。

ただ、見学といっても、実際のワーク内容は見せてもらえず、講師の方から一日のタイムスケジュールや、実際通うまでの流れなどの説明を受けただけだった。

私がA医院を敬遠したのは、デイナイトケアのみだという点と、食事に関しての二点。

前述したデイケアはこの医院では行っておらず、デイナイトケアという、朝~夜までのプログラムしかなかった。

また食事は、決められた時間に全員で一部屋で取らなければならず、早く食べ終わっても帰宅が許されないという決まりになっていた。

この当時は料理にかなりはまっていたので、夜に料理を作れなくなるのはなあ、というのと、普通の会社でも、食事までは全員で取ることを強制はされないだろうし、復職に向けての行動でそこまでは…と考えて、辞退させていただいた。

 

2つ目のB医院は、デイケアを実施していたので、帰宅してから料理が作れるというのがまずよかった。

また、スパルタ気質な雰囲気で、ばしばし鍛えるというのをウリにしていた。うちは復職前にダウンする人もたくさんいる、そのぶん復職の際にはとても自信がつくよ、とおっしゃっていた記憶がある。

私は、「自分は周りに比べて甘えている」という考えを持って育ってきており、「周りより苦しい思いをしないといけない」「そうしないと、周りと同じ土俵には立てない」という考えに昔から縛られていて、このスパルタ気質はかなり私に魅力的に感じた。

実は、行くのはこのB医院にしようと思っていた。

が、C医院の見学がこのB医院の3週間後以降とかしか取れなくて、B医院に連絡するのはとりあえずC医院の見学が終わってからにしようと思い、一度保留させてもらった。

 

C医院は、初めて実際のリワークプログラム内容を見ることができた医院だった。

思っていたより、ずっと雰囲気は柔らかいと思った。復職に向けて勉強する施設ということで、もっとお堅い場所なのかと勝手に想像していた。初音ミクの話があがったのを、すごく鮮明に覚えている。

スポ根、規律重視な感じのB医院とは対照的で、前述した自分の思考もあり、見学後もやっぱりB医院にしようかなと思っていた。

 

それで、B医院に連絡したのだが、必ず掛け直しますという連絡の後、すっぽかされてしまった。

 

で、消去法のような感じで、今はC医院に通っている。

でも今は、後述する理由もあって、C医院にしてよかったなと思っている。

 

リワークでの内容

この医院のプログラム内容は、新聞要約・発表、認知行動療法で自己分析、ディベート的なグループワーク、医療療法などを行う。

 

認知行動療法とは、「なにかの出来事に対して、自分がどう考えたか」のプロセスを追って、自己分析して、自分を受けて入れていく治療法のこと。

 

たとえば私はリワークに行き始めた時、「行くからには何かを学びとらないといけない」「もう失敗はできない」という思いを抱いていた。

で、何度か行くのが嫌になってしまった時期がある。これらの考えに縛られてしまい、「今日はちょっとグループワークで発言できなかった」といった日に、ものすごく落ち込んでしまう。

「自分はこうすべき。しないといけない」「満点でなければならない。ちょっとできない、は許されない」これらを、認知行動療法では、それぞれ「べき思考」「白黒思考(完璧主義)」と呼ぶ。

出来事に対して人それぞれの色んな考え方があって、私はこれらの思考のくせが強いのだということが自覚できた。

自分という、ブラックボックス化されているシステムの解析みたいな感じだと私は思っている。

mh.cbtjp.net

私は、前の日記で書いたように、周りの期待に応えたい理想の自分と、応えられない現実の自分の間に大きなギャップがあった。成長していくたびに、どんどんそれが大きくなった。

そうやって自分の内面に立ち向かうんではなくて、その嫌な自分の部分も受け入れてやろう、というのが認知行動療法の目的なのかなと思っている。

 

最後に

自分の苦手な事や弱みなどを、笑い話のような感じで、周りに話せる人に、私は昔から漠然とあこがれていた。

私が同じようにやろうとすると、妙に深刻になったりだとか、ネガティブに火がついて止まらなくなったりする。

年上の人達はみな、そうやって完成されている凄い存在なんだ。それに比べて自分はなんて駄目なんだ。もっと努力しないといけない、という考え方をばねにして、25年間努力してきた。

 

リワークに通って、まず感じたのは、大人だって、弱い部分を持っているのだということ。当たり前のことだが、今まで私は気付かなかった。

盲目的に、年上の人たちは凄い、自分は駄目だ、というのを刷り込んで成長してきたためだった。

そして、そんな大人の方々が、認知行動療法で自分を受け入れつつあるのを見て、こう思った。

 

自分の弱さを受け入れて、自分は弱いのだと周りに言える。それが、本当の強さを持っているということ。

 

そう考えると、今まで自分にとっては手の届かない存在だった年上の人達に、自分もいつか近づけるのではないかなと思えるようになった。考え方は、自分が昔から目指していたものより、ずっとシンプルなのかもしれないって。

そんなの当たり前と言われるかもしれないし、そんなことにも気づかなかったのかと驚かれるかもしれない。実際、気付かなかったからしょうがない。

私にとってまず父親という存在が偉大すぎたというのが根っこにある。自分の中で年上というものを神格化しすぎて育ってきて、やっといま、当たり前のことに気が付くことができた。

 

あと主治医に言われたことで、なるほどと思ったことがある。

「けがで休んだり休まなかったりして、たまにホームランを打つ選手と、目立った活躍はしなくても、ずっとベンチにいる選手。普通の会社で多くの場合大事にされるのは、ベンチの選手なんだよ」という言葉。

私は野球観戦が好きなので、この例えははっとなった。

一打席にすべてをかけて、ホームランを狙おうとして、失敗して激しく落ち込むのではなく、今は自分は会社やリワークに来るだけでいいんだ、と思おうという心構え。

もちろん、会社員である以上、「給料に見合った仕事」という考えはついて回ると思う。それを前提にして、自分にも相手にも「過度な期待」はしない考えはありかな、ということを考えている。

 

私も、実際にいま働いているわけではないから、就業中の方々から見れば、抜けたことを言いやがってと思われるかもしれない。

でも、それが私だ。人に色んな過去があって、色んな考えがあるように、私も今までの生い立ちがあったうえで、こう考えているのは紛れもない事実だ。

 

これから考えていくべきことはたくさんある。

しかし時間もたくさんある。焦らずに、一つ一つ向き合っていければいいなと思う。