平成生まれの私が見てきたインターネットの世界。
以下の記事を読んで、自分も子供の頃からのインターネットの思い出を書いてみたくなった。
なのでタイトルは、あえて同じにしました。
PCとの出会い
小学校中学年の頃に、親父から突然ローマ字練習用シートのようなものを渡され「これからの世の中ではパソコンが必要になってくる。できるようになれ」と言われたのを覚えている。
当時、小学校では周りでPCを扱える子供はほとんどおらず、私は自分だけできるのが嬉しくて、どんどんPCにのめり込んでいった。
タイピングがある程度できるようになって、自由にPCを触らせてもらえるようになった。実家のPCのOSはWindowsだったので、最初はもっぱらゲームばかりやっていた。マインスイーパにソリティアに、今は無きベスト電器とかで安いゲームを買って貰って、インストールしてプレイしていた。
中でも2000年に出た、特に2つのソフトウェアが私を夢中にさせた。
ホームページビルダー、RPGツクール
日本IBMのホームページビルダー2000と、ASCIIのRPGツクール2000だった。
ただ、親父からの、ああしたらどうだこうしたらどうだの口出しが疎ましくなってきて、それから逃れられるRPGツクールの方に移っていった。
RPGツクール2000は、おそらくツクールシリーズの中でも、最高の栄華を築いたソフト。
当時のASCIIは公式サイトでコンパク*3というコンテストを毎月実施していた。これは、ユーザーの作ったゲームを審査員がプレイしてレビューしてくれ、上位のゲームは表彰されて、ダウンロード可能となるもの。これにより、ツクラー*4間でのモチベーションの相互維持がなされていた。
しかし、ゲーム制作ツールと言ってもかなりの曲者で、変数操作や条件分岐、乱数などの考え方を理解していなければ、一般的なゲームを作るのは困難だった。今考えれば、ここで変数などのプログラミングの基礎の考え方に触れる事ができたのはよかったと思う。
私は結局コンパクには投稿できず、何10作とチャレンジしてできたのは1作だけだった。しかも、ストーリーはドラクエから流用で、その内部処理をツクールでトレースしたクローンゲーム。表現の難しさを子供ながらに思い知らされてしまった。
MIDIとカービィくらぶ
創作系以外では、引用記事と同じく、私も個人サイトにアップされているゲーム音楽のアレンジを聴くのに熱中していた。
当時はネット回線の貧弱さゆえ、MP3の配布はかなり時間を食ってしまっていた。そんな中、ネット上で流行していたのが、PCの内蔵音源で再生するMIDIファイルだった。
このカビくらの管理人が、今はJRAでジョッキー(騎手)をやっているのを知り、とても驚いた。
当時のネット世界で尊敬していた人が、自分がこうして大人になった時、夢の舞台で働いているとは、すごい。
中高のネトゲブーム
中高生の頃は、ネット回線の高速化と共に、オンラインゲームが流行し始めた。
この頃は前の日記で書いたように、いじめられていて、PHIではその相手もプレイヤーだったため、ゲーム内でもしんどかった。
そこまで嫌いな相手なのに、完全に拒絶まではできないのが、私の考え方のおかしなところであり、そうしてしまう駄目な自分、という劣等感を自ら感じてしまっていた。
これについてはまた別にテーマとして書きたい。
親から貰ったお小遣いを課金してしまったという罪悪感と、直後にすぐ飽きてしまったという申し訳なさを感じた。
この罪悪感と、自分で決めた道すら貫けないという事実が劣等感に結びついてしまってる。
中高生の頃のゲームには、あまりいい思い出がなかった。こういうことも、書くことで何か発散できればなと思う。
初音ミクとの出会い
周りが大学受験真っ盛りの頃、私は涼宮ハルヒというアニメにどハマリして1年ほどが経過していた。
そこから、自然とニコニコ動画にも夢中になった。
そんな中で、ランキングのある動画を再生する。オリジナルの動画は非公開設定になってしまっているので、他の方が再うpした版。
初音ミクという新しい歌手が、当時流行りのキャラソンをカバーしたのだと最初は思った。
調べてみると、どうやら違う。初音ミクというソフトにメロディを打ち込んで歌わせている、というのを理解するのに時間がかかった。リアルな声だなぁと感心した。
更に、その数日後に見た動画で更なる衝撃を受ける。
まずかわいすぎる。
さらに凄いところは「音源である初音ミクの視点からの、ユーザーから歌わせてもらう喜び」を歌詞として歌わせている点。
私があなたのもとに来た日を
どうかどうか 忘れないでいて欲しいよ
私のこと 見つめるあなたが嬉しそうだから
ちょっぴり恥ずかしいけど 歌を歌うよ
この着眼点は当時でもかなり斬新なものだった。まだ、調教*7という言葉がなかった頃だった。
ここを起点として、ミクを単なるツールではなく、キャラクターとしての設定がユーザー側でなされていき、ネギをもたせたり、はちゅねになったりという文化が生まれた。
このものづくりの楽しさの象徴のようなミクと、OSTER Projectという作曲者にどっぷり引き込まれていった。
最後に
進学などで自分の世界が拡がると同時に、ネット世界がどんどん拡がっていった。私の人格形成において、ネットはかかせないものであったと書いて思った。
私は、ネット世界の中に、表現面で自分を導いてくれる人を見出して、その人を目指して自分もものを作るというのを続けてきたタイプだった。
最近、絵を描いてない。こうして色々作るのに挑戦してきたのを振り返ってみて、久しぶりにやりたいと思った。